王都帰還から二週間がたった。外は雨。三日前から降り始め、まだ降り続けている。どうやらこの世界にも梅雨の季節みたいなものがあるらしい。
雨がやむまでギルドの仕事はお休み。と、いうわけで、僕は魔法のお勉強なわけです。まあ、王都で買った本から、使えそうな無属性魔法をピックアップしているだけですが。
500ページくらい…全体三分の一くらい読み進んだが、使えそうな魔法はたったの4つ。1ページにだいたい50くらいの魔法が乗っているから、全部で25000…。そのうち使えそうなのは25000分の4だから〜…6250分の1…か。
ピックアップしたのは、
魔法の効果を物質に付与する「エンチャント」、
相手を麻痺させて動けなくする「パラライズ」、
鉱物や木製品の形状を造り変える「モデリング」、
自分の求めるものを捜索できる「サーチ」、
の4つである。
このうち「モデリング」と「サーチ」はかなり役に立った。まあ、いろいろと不都合もあるが。
「モデリング」は物質を思い浮かべたものに造り変える造形術だが、けっこう時間がかかる上、(パッとはいかない)イメージがしっかりしてないと変な物ができる。
試しにちょっと将棋盤を作ってみたのだが、盤の方はマス目が一列多く、駒の方はサイズが大きくてマス目からはみ出してしまった。
かなりイメージを細かく浮かべないと難しい。実物を見ながらだと割と上手くできるので、スマホで将棋盤を写真検索して、それを見ながら完成させたが。
「サーチ」の方は落し物などをしたときに便利かと思って習得したのだが、実はこの魔法、かなり大雑把な検索もできることがわかった。
僕はこの世界にはバニラがないと思っていたのだが、試しに市場で検索してみたところ、あっさり見つかった。
それは僕が知ってるバニラではなく、「ココ」というプチトマトのようななんか変わった実だった。しかし、味や香りはバニラでそのものであり、充分代用できるものだったのである。
名前や形が違っても、僕が「バニラ」と判断できるものがヒットするらしい。ホント、大雑把だ。
ただ、これも欠点があって、有効範囲が狭い。だいたい半径五十メートルくらい。人探しにはイマイチ使いにくそうだ。
「お腹すいたな……」
時間を確認するとお昼をとっくに過ぎていた。道理で。
本をしまい、部屋に鍵をかけて宿の階段を降りる。食堂にはドランさんと「武器屋熊八」の店主、バラルさんが対面して座っていた。二人の間にあるものは、木製でマス目がついた盤。
「また将棋ですか」
「おう」
盤上に釘付けで、こちらを見もせずに返事するドランさんに、呆れたように僕は苦笑いする。
「モデリング」のテストに作ってみた将棋だが、これに一番興味を持ったのが宿屋のドランさんだった。ルールを教えると、その面白さに見事にハマり、知り合いを引っ張りこんでまでの熱中さである。同じようにバラルさんもハマり、暇さえあればこの二人はパチパチやっていた。
まあ、正直バラルさんがハマってくれて助かった。それまでは対戦相手が僕しかおらず、何度付き合わされたことか。
僕は将棋のルールは知っててもそれほど強くはない。そんなにやり込んだわけじゃないし。初めのうちは勝てたけど、今じゃドランさんの相手にならない。好きこそ物の上手なれ、とはよく言ったもんだ。
厨房にいたミカさんに昼食を頼む。僕は二人の邪魔にならないよう食堂の少し離れた席に座った。
「バラルさん、店の方はいいんですか?」
「この雨じゃ客もたいしてこないからな。女房にまかせてきた。それより冬夜さん、将棋盤、もう一セットもらえないか?」
「え? バラルさんの分はもうあげましたよね?」
家でも練習したいというバラルさんに、こないだ一セット作り、渡したばかりだったのだが。
「道具屋のシモンが自分も欲しいって言い出してさ。頼むよ」
「まあ、いいですけど…」
誰か器用な人に作ってもらえばいいんじゃ…と、思ったが、キチンと作ろうとしたらけっこう手間がかかるか。
「いや、ありがとう。これで、」
「王手」
「ぬっ!?」
腕を組み、盤上を睨み続けていたドランさんの言葉に、今度はバラルさんが腕を組み、盤上を睨みだした。ホント、ハマってるなあ。ここまでとは思わなかった。
そんなことを考えていると、ミカさんが僕の昼食を持ってやってきた。
「はいよー、お待たせ。父さんたちもいい加減にしなよー」
「わりぃ。この一番だけな」
拝むような仕草でドランさんがミカさんに顔を向ける。まあ、雨が降らなけりゃ、二人だって昼日中、こんなにやり込んでいない。長雨を言い訳にして、という考えもあるが。
ミカさんが持ってきた昼食は山菜パスタとトマトスープ、それにリンゴが二切れ。
「そういやミカさん、他のみんなは?」
「リンゼちゃんは部屋にいると思うけど、エルゼちゃんと八重ちゃんは出かけたよ」
「この雨の中を?」
「パレント新作のお菓子を買いに行ったの」
ああ、あれか。せっかくバニラもどきを見つけたんで、なにかできないかとアエルさんと話して、バニラロールケーキを作ってみたのだ。
ま、僕はレシピと作り方を教えただけで、ほぼ見てただけですが。でも、これがまた美味かった。調子に乗って苺ロールケーキも作ってもらった。
その話をエルゼらにしたら、なぜ持って帰ってこないと、首を締められた。理不尽だ。
その新作が今日から売り出されることになってたのだ。…だからってこの雨の中を行かんでも。
スイーツの執念恐るべし。
「ただいまー。うあー、濡れたー」
「ただいまでござる」
おっと噂をすればなんとやら、お二人のご帰還だ。差していた傘をたたみ、入り口に立てかける。
こちらの世界にはビニール傘なんてものがない。傘自体はあるのだが、使われているものは基本的に布だ。それでもそれに木の樹脂などを染み込ませて、撥水効果を上げたりして工夫を凝らしている。
「おかえり。買えた?」
「ばっちり。雨で逆に人が少なかったから助かったわー」
エルゼが袋を持ち上げて見せる。いい笑顔だな、まったく。
「美味かったでござる」
「ねー」
食べてもきたのか。どんだけだよ。
「はいこれ、ミカさんの分」
「ありがとさん。お金はあとで払うから」
エルゼは袋から計四つの白い箱を出して、そのうちのひとつをミカさんに手渡した。ちゃっかりミカさんも頼んでたわけだ。
「残りのは?」
「一つはリンゼの、もう一つは私たちのよ。残りの一つは公爵様に届けて」
「え? 僕が?」
って言うか、君らまだ食うの!?
「あんた以外にこの雨の中、誰が王都まで行けるのよ。お世話になった相手にお裾分け、常識でしょう?」
なら君らも来ればいいじゃん、と返したら、畏れ多いと断られた。なんだよ、それー。
仕方ない、行って来るか。物が物だけに、早めに食べてもらった方がいいしな。
と、そういやこないだ王都へ行ったとき、公爵も将棋に興味を示してたな。それもお土産にするか。
ドランさんに断りを入れて、裏庭に積んである廃材を使わせてもらう。「モデリング」を起動させ、将棋盤と駒を二セット作る。もう何回も作ったから慣れたもんだ。
十分ほどで出来上がる。一応、チェックする。うん、大丈夫だろう。前に飛車を一つ多く作ってしまったことがあるからな。
食堂に戻り、バラルさんに一セット渡す。ロールケーキと駒の入った箱を袋に入れて、将棋盤を脇に抱えた。
「じゃあ、行ってきます」
傘を持って、ゲートで移動するために裏庭へ再び向かった。なるべく目立たない方がいいし。
出口は…屋敷の門の陰でいいか。
「ゲート」
「うまあ! これうまあ!」
「はしたないですよ、スゥ。でもホントに美味しいわ。このロールケーキというの」
エレン様とスゥは大喜びでロールケーキを食べている。持ってきた甲斐があったな。公爵も唸りながら食べている。
「いや、これをいつでも食べられるとは、リフレットの人たちが羨ましいな。君みたいに「ゲート」が使えれば毎日買いに行くんだが」
「よろしければ、レシピと作り方を屋敷の料理人に教えますよ。秘密ってわけでもないんで」
「本当か、冬夜! 母上、これで毎日食べられますぞ!」
僕の言葉に異常反応したのはスゥだった。おい、よだれ出てるよ、公爵令嬢。
「もう、スゥったら。毎日食べてたら太ってしまいますよ。一日おきにしておきなさい」
ころころと笑いながら公爵夫人のツッコミ。一日おきでもあんまり変わらない気が。次に来たとき、スゥがものすごく太っていたら、ちょっと罪悪感感じるぞ…。
「それで、これが例の将棋かね?」
「はい。二人でやるゲームなのですが、やってみますか?」
公爵が将棋盤と駒を眺める前で、僕は自陣に駒を並べていく。
「父上! わらわも!」
「まあ、待ちなさい。まずは私からだ」
公爵が僕の真似をしながら自陣に駒を並べていく。あ、飛車と角の位置が逆。
「まず、駒の動かし方ですね。これは「歩」と言いまして、兵士を表しています。前にひとつだけしか進めませんが、相手の陣地に入ると───」
「ふむ……」
駒の動き方を公爵は次々と覚えていく。なかなか覚えが早い。これならすぐに上達するだろう。
だが、僕がそれを後悔するのにそう時間はかからなかった……。
「もう一局! もう一局だけやろう! 次で終わりにするから!」
そのセリフさっきも聞きました……。結果、公爵様もドランさんと同じようにハマってしまい、延々と僕は勝負に付き合わされた。もうすっかり夜になってるんですけど……。待ちくたびれて、ソファでスゥが寝ちゃってるし。
あらためて思ったが、この世界って娯楽が少ないんだなー。だからこんな感じになるのかしら。
「これは面白いな。兄上にもやらせてみたい!」
深夜になってやっと解放された僕に、公爵様がとんでもないことを言い出した。まさかと思うが、国王様までハマらないだろうなー。将棋で国政ほったらかしとか無しだぞ…。
あ、雨上がってら。