第十四話 子供返りと冬の空
一カ月が経ち、オガライトの備蓄も十分になった頃、季節は秋の終わりに近づいていた。
ソラが廊下で見かけたミナンは目の下に濃い隈が出来ていた。
「ミナンの奴、死にかけてないか?」
「何だかんだ言って先輩の事まで心配しちゃうソラ様は優しいですね」
「混ぜっ返すな。館の中で死なれると妙な噂が立つだろうが」
いまさら気をもんだところでクラインセルト家の評判はもう下がらない。
それを承知の上でラゼットの言葉に唇を尖らせるソラだった。
「ウッドドーラ商会が主催する宝くじの件を領主様に報告したらしいですよ。返事があって以来ずっとあの調子です」
「何て書いてあったんだ?」
「それが分からないんですよね。ウツボみたいに図太くて油断した瞬間に獲物を丸飲みするあの先輩を追い込む内容なんて想像がつきません。興味もつきません」
「ウツボってお前……。」
待ち伏せていきなり襲いかかる様は裏切りメイドのミナンと確かに重なるところがある。そう思うと素直に注意することも出来ないソラだった。
そんな会話をした翌日、ミナンは館から姿を消した。
報告を受けたソラはオガライトの生産を中止し、子供達に街中を探し回らせた。
「ソラ様、ミナン先輩の部屋から書き置きが見つかりました」
「見せろ」
引ったくるようにラゼットから書き置きを奪ったソラは内容に目を通す。
そこには企画していた宝くじが開催出来なくなったのを領主に咎められ、何としてでも開催して利益を出さなければ処刑すると脅されていた事、ウッドドーラ商会に共催を持ちかけて断られた事、商会と教会の関係が判明し太刀打ち出来ないと悟った事などが書いてあった。
「ラゼット、子供達を呼び戻せ」
「いいんですか?」
「あのミナンが本気で逃げるんだ。捕まるものか。捕まえても処刑されるだけなら逃がしてやる方がいい」
そう言ってソラはラゼットに背を向けた。
何かをためらうようなソラの後ろ姿にラゼットは無言で扉に向かう。
「俺のせいかもな」
部屋を退出する直前、聞こえてきた小さな声に振り返っても閉まりゆく扉に遮られた。
再び開けるのも戸惑われる。
「こんな時に子供に戻ってどうするんですか……。」
誰にも聞かれないように呟いて、ラゼットは外を見た。
冬の到来を予感させる灰色の雲がたれ込め、寒々しい音を連れた風が吹いていた。
子供達を呼び集め、今日の予定は無くなったと告げる。大半の子供達は遊びに行ってしまったが、三人だけ心配そうに館の方角を見ていた。
「……ラゼット姉、ソラ様は大丈夫?」
獣人のサニアがラゼットの服の裾を軽く引っ張って訊く。
獣人を見下すでも怖がるでもなく、むしろ積極的に関わろうとするソラを奇異に思い、遠巻きにしたり逃げまどうことの多い彼女がソラの心配をしているのにラゼットは驚いた。
ソラのような例外があるにしろ、子供は自らが抱く感情に近い行動をするものだ。
つまり、サニアはソラを心配する程度に気を許している。それなら、いつも逃げている理由は、
──恥じらいだったらおもしろいなぁ。
ラゼットは内心をおくびにも出さずに頼れるお姉さんの顔でサニアに微笑みかけた。
「大丈夫ではないかもしれないから、明日ソラ様に何かプレゼントを差し上げたらどうかな?」
──いつもは逃げられる意中の女の子にプレゼントをもらったソラ様の顔、これは見物。
ちゃっかりと明日の楽しみを作り、ラゼットは笑顔でサニアを送り出した。
館に戻ってみるとソラは部屋に閉じ籠もったきりだという。何人かのメイドが代わる代わる様子を見ているが、椅子に座って外を眺めているだけでぼんやり過ごしているらしい。
実際に部屋を訪ねてみると、なるほど、ソラは半開きにしたカーテンの隙間から外を見つめて黄昏ていた。窓辺に寄せた椅子の上で膝を抱えて丸まっている。
「……ラゼットか」
振り向きもせずに来訪者を言い当てたソラはアイスプラントの葉を指で弾いた。
「平民の子供みたいに落ち込まないで下さいよ」
「……俺は子供だ」
「そうですね。ウジウジと落ち込んでいるだけの子供です」
ソラの隣に立ったラゼットは当然のように半開きのカーテンに手を伸ばし、勢いをつけて開ききる。ソラが嫌そうに顔をしかめるのも構わずに窓も開いたラゼットは上半身を外に出して大きく息を吸い込んだ。
「ミナン先輩の大馬鹿野郎! 私の仕事を増やすなッ!!」
肺の空気を目一杯に使った怒鳴り声は館の塀を越えて街にも届いただろう。
呆気にとられるソラを後目に「よし!」とガッツポーズするラゼット。
彼女は窓から体を引っ込めてソラに向き直った。
「ミナン先輩に同情するのは結構です。ですが、それと計画とは別問題ですよ。何時までウジウジと貝みたいに引きこもる気ですか?」
「いや、計画を進めるとまたミナンみたいな奴が出るかもしれないし、今回の宝くじは街全体を巻き込んで迷惑かけただろ? だから」
「──だから、止めるって言うんですか? ガキに戻らないで下さいよ、面倒くさいですね」
ラゼットは肩をすくめてソラを馬鹿にするように見下ろした。
「結果に怯えてどうするんです? 怯えるべきは失敗であって、そうしない為に努力するのが大人ってもんです。ソラ様らしくもない。こんな時だけ子供に戻るのは卑怯者ですよ」
ラゼットはソラの額を指でつつきながら言い聞かせる。
初めて年長者らしい仕事をする彼女だが、その表情は呆れが多分に混じっていた。
今更こんな説教をする事になるとは思わなかった、と言いたげなラゼットにソラは視線をさまよわせる。
ソラにしてみれば、現状を引っ掻き回した責任があるから計画を自粛しようと思ったのだ。その選択をガキ扱いされるとは思っていなかった。
「いいですか、ソラ様。行動しない限り遠からずクラインセルト領がなくなると言ったのは誰ですか? 救う知恵があるのに失敗を怖がって領民を見捨てるのは悪ですよ。それが嫌だと行動を始めたのですから努力しなさいッ!」
言うだけ言ったラゼットはソラの胸元を強めに突いて、椅子に座った。
ソラはしばらく噛みしめるような顔をして、盛大なため息をついた。
「ラゼット、今みたいな事は他に人がいる時にはやるなよ?」
「そんな命知らずな真似はしません」
館の外に向かって大声を張り上げるのも十分に危険な行為なのだが、その点はソラがフォローできる範囲だ。
バタバタとうるさい足音が聞こえてきたかと思うとメイド長が部屋に入ってきた。何事もなかったらしいと判断すると、ラゼットに小言を浴びせて帰っていった。
豚領主がいたら処刑コースでもおかしくないが、メイド長はせいぜいが暇を出すだけだ。
ラゼットもこれくらいは覚悟の上だろう。
「ラゼットの馬鹿、叱られてやんの」
ちょっとした意趣返しにソラが笑うとラゼットはメイド長の出ていった扉に向かって舌を出した。
そのふてぶてしさにソラは笑い、ラゼットもむしろ誇るように笑った。
「明日、オガライトを売る。露天で売るから漁師のゼズが適任だろう。子供たちは商品の運搬だ。俺は館の人間を抑え込む。ラゼットは俺と子供たちやゼズとの連絡係りだ」
「忙しそうですね。分かりました」
矢継ぎ早に明日の役割分担を決めたソラにラゼットが微笑み、子供たちに通達すると言って席を立つ。
「……ラゼット」
「なんですか?」
「ありがとう」