ハジメは、ユエと顔を見合わせ一つ頷くと、おもむろに立ち上がった。
「さっそく挑戦するのかの?」
「ああ。話しているうちに知識の整理も出来た。まるで、ニンジンを目の間にぶら下げられた馬みたいな気持ちなんだ。試さずにはいられない」
拳をパシンと掌に打ち付けるハジメ。そんなハジメに、ユエは落ち着かせるように、そっと手を触れさせた。小さくたおやかな手の感触に、すぐさま鎮まるハジメの心。再び、甘やかな空気が形成されそうになったので、若干、慌て気味に鈴が口を開いた。
「えっと、南雲君。日本に帰る為の魔法って、どれくらいかかりそうかな? 出来れば、鈴も完成したところを見たいと思うんだけど……あんまり掛かりそうなら、鈴達も色々準備しなきゃだし」
「そう、だな。帰還の魔法だけなら時間はそれほど掛からないだろう。帰りたいという俺の願望が、極限でないなんて誰も言わせないからな。だが、他者からの魔法的干渉を防ぐのは……正直、わからない。直ぐに出来そうな気もするんだが……」
「そっか。わかったよ。それじゃあ、帰還の魔法が出来るまでは鈴達も休息に専念することにするよ。本当に帰れるのか分かるまでは、他のことに手が付きそうにないし……せっかく手に入れた変成魔法のこともあるから、魔人領へ行くのはその後だね。えっと、シズシズ達はどうするの?」
鈴が今後の方針を決めて、雫達の意思を確認する。鈴としては、雫もようやく自分の気持ちに気がついたことだし、これからはハジメの傍にいたいのではないかと思ったのだ。ついでに、龍太郎にも本当に敵地のド真ん中に自分と一緒に乗り込むつもりかと確認する。
「私は、もちろん鈴と一緒に行くわよ」
「俺もだぜ」
対する雫と龍太郎は即答だった。
「龍太郎くんはともかく、シズシズはいいの? せっかく……」
「なに言ってるのよ。それとこれとは話が別。お馬鹿二人に鈴は任せられないわ。それにどうせ、そう長居するわけじゃないでしょう? 目的を果たしたら即行で逃げて南雲くんに合流するのだし、寂しくないわ。それに、私も恵里には一言いってやらないと気が済まないから」
あっけらかんとした口調で肩を竦める雫に、それが本心だと悟り、「流石、女が惚れる女、漢前だよ!」と称賛しながら抱きついた鈴だったが、漢前と言われて額に青筋を浮かべた雫に頭グリグリをされて悲鳴を上げる。
鈴は涙目になりながら話題を逸らした。
「あ、あとは光輝くんだけど……」
その言葉で、ハジメが「ん?」と首を傾げた。そして、部屋の中に視線を巡らせる。
「そういや、あいつどこ行ったんだ?」
「部屋にいないことに、今、気が付いたのね。……光輝なら別室でまだ寝ているわ。ダメージが深かったから目覚めにはもう少しかかりそうよ」
今の今まで、光輝の存在を忘れていたらしいハジメに、何とも言えない表情を向けながら雫が説明する。
体の傷は、香織が完璧に治しているはずだから、深かったのは精神的ダメージだろう。本来の定義通りの力を発揮すれば魂魄魔法で癒すことも出来るのだろうが、いくら香織がノイントの体を掌握したといっても、やはり神代魔法の深奥の行使は至難だ。精神的ダメージは深ければ深いほど干渉が難しいという点も合わせて考えると、自然治癒に任せるのが、今のところ妥当だった。
「まぁ、あいつのことはいい。俺とユエは今から神代魔法の魔法陣があった部屋にでも篭って概念魔法が付与されたアーティファクトの作成に入る。万が一、その間に天之河が起きても邪魔はさせないでくれ」
「邪魔って……帰る為の道具を作ってくれるってぇのにそんなことしねぇだろ?」
龍太郎が、困惑するような表情になりながら反論する。
「だといいがな。精神的負荷が大きかったようだし、ないとは思うが寝起きに錯乱する可能性はゼロじゃない。まぁ、念の為だ。流石に、作成途中は余裕がなさそうだからな」
「任せて下さい、ハジメさん。お手伝いが出来ない分、お二人の邪魔は誰にもさせません」
「ああ。頼んだ、シア」
「……シアがいれば安心」
堂々と胸を張り自信に満ちた声で宣言するシア。逞しく頼もしいその姿と言葉に、ハジメとユエも無類の信頼を寄せて微笑んだ。
そうして、再び、神代魔法の魔法陣がある部屋に行き、シア達の見送りを受けながら、二人は重厚な扉の奥へと消えていった。