第三話 セリナ ダイジェスト化
さようなら竜生 こんにちは人生
第三話 セリナ
全身を濡らす泥水の不快な感触に泣きたいのを堪えて、手渡された革袋の水を口に含んでくちゅくちゅとお口の中を濯いでいると、ドランさんが私の事を少し困った顔で見ているのに気付きました。
頭から泥水を被ってしまった私と違い、ドランさんは大地の精霊さんのすぐ傍に居たのに、体や服に泥が着いてはいないようでした。
あんなに傍に居たのにどうして汚れていないのかな、と不思議に思って私が首を傾げながらドランさんを見返すと、ドランさんはふっと肩の力を抜いて小さく笑います。
私がなにか変な事をしたのかな? あ、お口の中を濯いでいるからかな?
「早く泥を落とさないといけないな。濡らしたままでは風邪をひいてしまう。着替えは大丈夫か?」
ドランさんは私が肩から掛けている鞄に視線を映して言いました。私が全身を濡らしている様に、鞄にも泥水が掛っていてとても中のものが無事とは思えません。
実際、鞄の中身は泥水に濡れてしまっているでしょう。
でも大丈夫!
この沼地を散歩しようと思った時に、着替えや食べ物は別の鞄に入れてきちんと隠してあるのです。濡れたらいけませんもの。
私はお口の中の水を、ドランさんに見られないように隠してペっと吐き出してから、唇を拭って返事をします。
ちょっとはしたなかったかな? ママに見られていたら怒られていたかもしれません。
「はい。リザードさんのお家の中に置いてあるから、着替えはちゃんとあります」
えっへん、と私が少しだけ胸を張って言うと、ドランさんはまた笑いました。
そんなに変な事を言ったつもりは無いのに、どうして笑うんでしょうか? 意地悪な人間さんなのかしら?
私が水筒を返そうとドランさんに近づくと、ドランさんはそんな私の考えをどうやってか見抜いた様で、水筒を受け取りながらこう言いました。
「セリナが私の知っているラミアとはずいぶん違うものだから、つい面白くてね。
それにセリナは最初に私と目が合った時は戸惑っていたようだが、もう随分と警戒の意識が薄れている。もう少し人間を警戒した方が良いとつい思ってしまうほどだよ」
ドランさんに言われて、私はあっと思いました。そうです。ドランさんは人間さんなのです。そして私は魔物のラミア。
なら当然のように人間さんはラミアの事を怖がって、刃を向けてきてもおかしくは無いのです。
可哀想な大地の精霊さんとの戦いで、ついうっかりと忘れていましたがいけません。
本当はこんなに近くに寄るつもりは無かったのに、少し手を伸ばせば届く距離にまで近づいているではないですか!
「あ、えっと、ご、ごめんなさい」
何を言えば良いのか分からなくって、私は自分でも何を言っているの、と思いながらなぜかドランさんに謝っていました。
するとドランさんは小さく肩を竦めます。とても良く似合っている仕草でした。
ドランさんは、優しい光を青い瞳に輝かせていました。
まるで良く晴れた日の空のような、とても心の落ち着く色です。ドランさんの目を見ていると、不思議と心が落ち着きます。
どうしてでしょう? ドランさんが私を傷つける事は無いと、なぜか私は思っていたのです。
「謝る必要は無いよ。私も君をどうこうしようというつもりはない。さ、それよりも早く着替えを済ませた方が良い」
どうやらドランさんは私をいじめるつもりはないようです。
パパとママから人間さんに迂闊に近づいてはいけない、と何度も言い含められていたので、正直人間さんの事はかなり怖かったのです。
ですから、ドランさんの優しい言葉と表情に私はとても安心する事が出来ました。
お互い相手に悪意がない事が分かったので、私は着替えをする為に荷物を隠してあるリザードさんのお家に、ドランさんと一緒に向かいます。
このリザードさん達の集落はもう誰も住んでいなくて、ほとんどのお家は床が抜けたり、壁が壊れていたりしていて、とても住めたものではありません。
それでも見て回った中で、一番綺麗な形を残していたお家の中に私は荷物を隠していました。多分、集落の長だった方のお家なのでしょう。
お家の中で濡れた服を着替え、髪を濡らす泥水を拭う間、ドランさんはお家の外で待っていてくれました。