謙虚、堅実をモットーに生きております!
ベアトリーチェと会う日、私達は室内ドッグランのある最寄駅の前で待ち合わせをした。私だけ日傘を差していたので、さすがお嬢様とか言われちゃったけど、日焼けをするとお母様に怒られるので許してほしい。それでも今日は犬と戯れるので、私にしては珍しくチェニックにレギンスというかなりカジュアルな格好をしてきたのだ。
「おーい!」
改札から梅若君が出てきた。手に大きなキャリーバッグを抱えている。
「おまたせ!連れてきたよ、ベアトリーチェ!」
そっとキャリーバッグのファスナーを開けると、中から茶色い犬がひょこっと顔を出した。
「可愛い!」
つぶらなお目々のベアたんは、写真で見るより数倍可愛かった!
私達はベアトリーチェの入ったバッグを取り囲み、口々に「可愛いねぇ」「ベアトリーチェ~」と話しかけた。梅若君はそれに対し「可愛いって、良かったね~、ベアた~ん」とすでに犬バカの片鱗を見せ始めていた。
このまま外にいても暑いので、私達はおしゃべりしながらドッグランに移動することにした。
「犬も電車に乗れるんですね」
「うん。きちんとバッグに入れて乗車料金払えば乗れるよ」
バッグから顔だけ出したベアトリーチェは好奇心旺盛なのか、きょろきょろと辺りを見回している。可愛いな~。梅若君はみんなとおしゃべりをしながらも、ずっとベアトリーチェの頭を撫で続けていた。
梅若君はベアトリーチェの入ったバッグのほかにもうひとつトートも持っていたので大荷物だ。ベアトリーチェのブラシや水などが入っているらしい。
お店は駅から歩いて数分の場所にあった。受付で予約していた旨を伝える。
ドッグランはほかのお客さんに気兼ねすることなく写真を撮ったり計測したりしたかったので、私があらかじめ予約して貸し切りにさせてもらった。。
室内ドッグランに着いて梅若君がバッグを開けると、勢いよくベアトリーチェが外に飛び出した。
「ワンッ!」
元気いっぱいのベアトリーチェは、梅若君の周りをぐるぐると走った。
「ベアた~ん!狭かったね~!でもいい子にしてたね~!」
梅若君は膝を付いてベアトリーチェに頬ずりをした。ベアトリーチェもくぅんくぅん言って梅若君に甘えている。甘い甘いふたりだけの世界だ。
「聞きしに勝るデレっぷりだな」
茶髪の北澤君が梅若君を見て言った。そうかな。ベアたんメールを送られている私からすれば、こんなのまだまだ序の口だと思うけど。
「さぁ!ベアたん、今日はお友達の麗華たんのモデルさんになってあげるんだよ~。可愛く撮ってもらうために、きれいきれいにしようね~」
梅若君は傍らのトートバッグからブラシを出し、ベアトリーチェを丁寧にブラッシングした。ベアトリーチェの茶色い毛は梅若君が毎日手入れしているたまものか、艶々ふわふわだ。両耳にピンクのお花のヘアアクセサリーを付けている。
「ほ~らきれいになった!ベアたん、麗華たん達にご挨拶しよう!」
「麗華たん…?」
隣の森山さんの顔が若干引き攣った。あ、まずい。麗華たん呼びはあくまでもベアたんの心の友という意味でして…。
私が森山さんに言い訳しようとしたその時、ベアトリーチェがいきなり私に飛びかかってきた!
「わあっ!」
突然のベアトリーチェの攻撃に、私がよろけて尻もちをつくと、ベアトリーチェはさらに私の上半身に伸し掛かり、私の髪をはむはむ噛みだした!
「うわあっ!なに?!なに?!」
ベアたん大興奮。私の髪を離さない。誰か助けて!飼い主!飼い主!
北澤君達はベアたんの行動にどうしたらいいかわからない様子で、私達に向けて手を伸ばしたり引っ込めたりしていた。
「おい、梅若!」
「ベアたん、大好きな麗華たんに会えて嬉しいんだね~。麗華たんの毛づくろいをしてあげてるのかぁ。ベアたんは優しいね~」
この髪をはむはむして引っ張っているのは毛づくろいなのか!でもベアたん、ダメだ!私の髪には化学物質がたくさん塗られているのだから、体に悪いよ!舐めちゃダメだ!あぁ、私の髪の毛よだれまみれ…。
犬バカ、なんとかしろ!
「ベアたん喜んでる、喜んでる。自分と同じくるくるヘアーだもんねぇ。仲間に会えて嬉しいねぇ」
「いや梅若、吉祥院さんが限界だ…。助けてやれ」
「そうか?吉祥院さん、限界?そっか。じゃあベアたん、こっちおいでー」
私が全力で限界だと訴えると、犬バカ君がやっとベアトリーチェを後ろから抱えて引き離してくれた。それでもベアトリーチェはぎりぎりまで私の髪を噛み続けていた。
「吉祥院さん、大丈夫?!」
森山さん達が私を支えて起こしてくれた。レギンス履いてきてよかった…。
「…ええ、大丈夫ですわ。少し驚いてしまっただけで…」
「でも髪、ぼろぼろだよ?一度トイレで直してきたほうがいいかも…」
そうさせてもらいます…。
私はよろよろしながらトイレに行き、洗面所でよだれの付いた髪を静かに洗い、顔に付いた茶色い毛を落とした…。
なんとか復活して戻ると、少し正気に戻った梅若君に謝罪されたので、気にしないでと言っておいた。
さて、先にプレゼントを渡しておこう。プレゼントはベアトリーチェ用のキャリーバッグにした。水色の生地にひまわりのプリントが付いた可愛いバッグだ。横に小さく“Asuka&Beatrice”と名前も入っている。
最初はお揃いのネックレスと首輪にしようと思ったのだけど、ベアトリーチェはともかく梅若君にアクセサリーをプレゼントしたら、また梅若君を好きな森山さんに余計な勘繰りをされるかもしれないと思ったのでやめたのだ。
「うわあっ!凄い可愛いっ!これもらっていいの?!ありがとう吉祥院さん!」
梅若君はプレゼントを見て大喜びしてくれた。気に入ってもらえて良かった。梅若君はベアトリーチェに「ほら、麗華たんからベアたんにって可愛いバッグもらったよー。わ!あーたんとベアたんの名前も入ってるよ、嬉しいねぇ」と声をかけていた。
ベアたんは私のプレゼントしたバッグをがじがじ噛んでいた。喜んでくれてなにより。
一息ついたところで写真撮影だ。今日のためにベアたんはサロンでトリミングもしてきてくれたんだって。完璧なベアたんだ。全体写真と部分写真をデジカメで何枚も撮る。合間に体の計測もさせてもらった。
「おリボンは変えたほうがいい?いろいろ持ってきたよ」
「うわっ、冠まであるのかよ」
「もちろん。ベアたんはお姫様だからねー。ティアラは必需品だよ。ねー、ベアたん」
撮影に飽きたベアたんがドッグランを走り回る。その後を「待て~!」と追いかける梅若君。「つかまえた!」「きゃうんきゃうん!」「ベアたん小悪魔~!」
友人の予想以上の犬バカぶりに、みんなが少し引いていた。
それからもドッグランに併設されているカフェでみんなでお茶を飲んでいる間や、近くを散歩している時も、終始ベアたんとベタベタにじゃれ合う梅若君を見て、森山さんが「梅若ってこういうヤツだったんだ…」とボソッと呟いていた。あれ、森山さん、もしかして恋愛ぼっち村に入村ですか?
榊さんに慰められる森山さんをよそに、梅若君は恋人の顔にキスの雨を降らしていた。
私がぬいぐるみを作ることを知っている梅若君が、気を利かせてトリミングした時に切った毛をチャック付きの小袋に入れて持ってきてくれた。ありがたい。これがあればフェルトの色選びの参考になる。梅若君は迷惑な犬バカだけどいい人だ。
さっそく帰りに手芸屋さんに寄ってベアトリーチェの毛に合わせた羊毛フェルトを買った。今夜から頑張るぞー!
“ベアたん、今日は麗華たんに会えてとっても嬉しかった!ベアたんのぬいぐるみ、美人に作ってね”
おまかせください。
Page 2 犬のニードルフェルトの作り方の本を参考に、ベアトリーチェの図案をおこすことにした私は初手で躓いた。なんということだ。私には絵心がない。
子供の頃、お受験対策の一環で絵画教室にも通ったけれど、結局身につかなかったねぇ…。
胴体は本を参考にしちゃえばいいけれど、肝心の顔が決まらない。ぬいぐるみは顔が命なのに!
何枚も何枚も描き損じて自分の絵心のなさを痛感した私は、結局ベアトリーチェの写真を引き伸ばしたものを代用することにした。人間諦めが肝心だ。
しかしリアル追求型のぬいぐるみは難しい。先に何体か練習で作ってからにしようかな。むしろモデルがあるほうが難しい気がしてきた!長毛種を選んで大失敗か?!
塾に行けば梅若君が「ベアたんのぬいぐるみはどう?」と無邪気にプレッシャーをかけてくる。今更やっぱりムリかもとは言えない雰囲気だ。期待が重い。どうしよう。己の実力を過信していた。学園祭に間に合うのか、私?!
梅若君から、ベアたんが私のプレゼントしたバッグから顔だけ出している写真をもらったので、いっそこれを参考に既製のバッグに顔だけ縫い付けておしまいにしちゃおうかな…。実力不足でごまかしたってすぐにバレるかな…。
部屋にはニードルフェルトの材料が溢れているので、気が散って勉強も出来ない。宿題もたくさんあるのに。
そういえば前に学院の図書室で勉強した時、ずいぶんはかどったな。そうだ、図書館に行ってみよう。
小さな図書館だと座る席がなさそうなので、大きい図書館を調べて行ってみた。図書館は混んでいたけれどところどころ空いている席があったので、近くの席に適当に座った。勉強道具を机に出して、なんとなしにふと前の席に座る人を見た時、私の全身に衝撃が走った。
ナル君?!
私の前で静かに勉強をしている人は、前世で私の従兄だった成人なるひと君にとてもよく似ていた。
ナル君だ。ナル君がいる。
従兄のナル君は私よりも年上のお兄さんで、会うといつも面倒をみてくれた私の初恋の人だ。
ちなみにナル君の名前は、生まれたのが1月15日だったので、成人の日に生まれたから成人という、子供心に安直な付けかただと思わせる由来だった。ナル君の両親は、誕生日がわかりやすくていいじゃないと言っていたけれど、まさかその数年後にハッピーマンデーなどという制度で、ナル君の名前の由来そのものが吹っ飛んでしまうとは、その時は誰も想像だにしていなかったに違いない。本人は「俺の名前の由来が…」とがっくり落ち込んでいたなぁ。可哀想なナル君。懐かしい。「大丈夫だよ、ナル君。私はナル君の誕生日をちゃんと覚えているよ」と一生懸命慰めたものだ。
優しくで時々おとぼけだったナル君。目の前にいる人は、そのナル君が高校生くらいだった頃にそっくりだった。ううん、本当にそっくりなのかはわからない。だってもうあれから15年以上経っている。時々思い出す家族の顔も、段々ぼんやりしてきているのだから。
でも、それでもやっぱり似ていると思う。モーツァルトの“きらきら星”が似合う優しい人。
私はそれから帰る時間がくるまで、ほとんど勉強そっちのけでドキドキしながらナル君観察をし続けた。
夕食が終わった後、私はお兄様にニードルフェルトがまるで進んでいない愚痴をこぼした。
「オリジナルの図案が描けないから、そこからダメなんです。写真を見て作ろうにもなかなか上手くいかなくて…」
「ふぅん。その写真と麗華の描いた絵を見せてくれる?」
私は部屋から一式を持ってきた。
「これです」
「……なるほど」
お兄様はベアトリーチェの写真と私の描き損じがたくさん描かれたスケッチブックを見比べた。わあっ!お兄様に恥を晒した!やっぱり見ないで!
私はお兄様からスケッチブックを取り戻そうとしたけれど、その前にお兄様がサラサラとベアトリーチェの絵を描きだした。上手いっ!
「お兄様、絵のご趣味があったのですか?!」
「いや、特にそういうことはないけれど、まぁ適当に描いてるだけ」
はい、と見せられた絵は写実主義!凄いや、お兄様!
だったらと、試しに細かい図案を描いてくれるよう頼んでみると、お兄様はあっという間に私のお願